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大阪高等裁判所 昭和41年(う)1043号 判決 1966年12月26日

被告人 田中東洋輝

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

当審および原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は検察官服部光行作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人野瀬長治作成の答弁書記載のとおりであるからこれらを引用する。

所論は、原判決は本件公訴事実に対し被告人に注意義務の懈怠はないとして無罪の言渡をしたが、本件において後進する自動車の運転者は、後進に際し、後進路上で作業中の人夫の動静についてはこれを確知しえないのであるから、誘導者の誘導に従つて後進すべき業務上の注意義務がある。かりにかかる義務がないとしても、被告人は後進に際し、後方の安全確認義務を果したものとはいえないから、本件事故につき被告人に過失ありというべく、これを否定した原判決は刑法二一一条の解釈適用を誤つたか、事実を誤認したものであるというにある。

よつて調査するに、後記証拠の標目欄記載の各証拠を総合するとつぎの事実が認められる。

被告人は松村建材店に雇われた自動車運転者であるが、昭和三九年八月三一日午後三時四五分頃普通貨物自動車(二トン積ダンプカー)に砂利約一トン半を積んで運転し、京都府竹野郡網野町字下岡府道峰山網野線道路工事現場(国鉄宮津線踏切南方約一三〇メートルの地点)に至り、砂利をおろすために時速一〇キロメートル位の速度で二〇メートル余後退進行したところ、同所で竹箒をもつて作業中の人夫四、五名のうちの浮網きしの(当時三三年)に自動車の左後部を衝突させ、同人に頭部外傷、左大腿骨々折の傷害を負わせ、そのため同人は同年九月九日午前六時三〇分京都府中郡峰山町字杉谷一五八番地丹後中央病院において死亡したこと、当時巾員六・八メートルの右道路はその西側半分を通行止めしてこれに簡易舗装工事を施行していたものであるが、すでに右部分の道路上にはアスフアルトがしかれ、男女四、五名の人夫がダンプカーの運搬してきた砂利をその上にまきならす作業をしていたものであること、砂利運搬のダンプカーは事故現場より南へ二〇メートル位西にある丁字形に交る三差路を利用して回転し、人夫らが作業中の場所まで後退進行していたこと、被告人は当日午前七時三〇分頃よりダンプカーによる砂利運搬作業にかかり、本件事故の際の運行をも含めてすでに七回の砂利運搬をし、ダンプカーが前記の後退進行をなすにつき人夫のうちで運転者を誘導したこともなくはないが、本件の後退運転に際しては何人の誘導もなく、クラクシヨンも鳴らさず、被告人は運転者席の窓から顔を出し右後方を見ながら後退進行したこと、浮網きしのは右ダンプカーに背を向けて竹箒を用いて作業をしていたためその進行に気づかず、また被告人の右姿勢からは同人がダンプカー左後方に位置していたため直接見透しがきかなかつたことが認められる。

ところで原判決は、「本件事故の発生した場所は舗装工事のため道路の片側半分は通行禁止中であるため工事に関係ある者以外の通行はなくかつ右場所に入る貨物自動車は特定の自動車のみであること、貨物自動車の後退進行する場所およびその状況も工事関係者には熟知されていたところであるから死角にあたる左側およびその後方部分については工事関係者において予め避譲態勢をとるべきであり又特に現場責任者において誘導するなどして後方の安全をはかるは勿論事故の発生を未然に防止するに足るあらゆる注意を尽すべき義務があり従つて被告人としては工事関係者の十分な注意ないしは協力を期待し専ら道路右端部分に注意を集中しながら後退したものであり殊に本件事故の発生する以前において数回にわたり同様の作業中事故なく事故現場に砂利をおろすことができたのであるから被告人に対して一般道路を後退する場合運転者に通常要求されるような後方注視などの注意義務を求めるべきでなくそれ故にたとえ被告人において当初左側バックミラーによつて後方を一ベつしたのみで直ちに後進をしたとしても被告人にその責任ありということはできない」とした。

なるほど本件工事現場は一般通行を禁止され、特定の貨物自動車のみ通行していたこと、貨物自動車は同所付近で後退進行することの状況も当時工事関係者も知つていたことは肯認できるところであるが、貨物自動車が後退進行するについては道路で作業中の工事関係者の側に避譲義務がありまた自動車を誘導して後方の安全を確保する義務があるのであつて、運転者としては単に道路右端部分にのみ注意を集中すれば足るとする論にはにわかに賛成し難いのである。自動車の運転者は自動車を運転するときはたとえ一般の通行を禁止された道路であつても、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならないのであるから、本件のごとき自動車の後退運転に際しては、自動車運転者としては後退の合図をした上自動車の進行により作業員に危険を及ぼさないよう進路方向を十分注視し、これに気づかぬ作業員あるときはクラクシヨンを鳴らすか声を出す等して注意を喚起しまたは現場の人に誘導させる等し、作業員が安全に避譲するのを確めて運転進行する義務のあることはいうまでもないことであつて、同日既に数回にわたり本件と同様の運行方法によるも事故のなかつたこと、後方の道路作業員が同路上を自動車が後退進行することのあることを熟知していること等の事情は右運転者の注意義務を免除する理由にはならないのである。被告人は本件事故現場付近すなわち自動車の後退進行方面に人夫数名が作業中であることを知りながら、窓から顔を出して進路右(西)側部分のみを注視したに止り、警笛をならしたり、誘導させたり等して作業員を避譲させる措置もとることなく、また進路左(東)側部分に注意を払わず(同部分が被告人の位置から死角にあたるから注意義務はないとはいわれない。運転はバックミラーによりまたは位置を移動して進路方向の安全を確認すべきであり、本件においてはバックミラーにより十分同部分を確認できたことは当審検証の結果により明白である)、後退進行したことは自動車運転者としての注意義務に違反していることは明らかで本件事故につき被告人に過失責任ありと認めるに十分である。

原判決が本件事故につき被告人の過失を認めず無罪の言渡をしたのは刑法二一一条の解釈適用を誤りひいて事実を誤認したものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れず、論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条三八〇条三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条によりさらにつぎのとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は松村建材店に雇われた自動車運転者であるが、昭和三九年八月三一日午後三時四五分頃、普通貨物自動車(二トン積ダンプカー)を運転して京都府竹野郡網野町字下岡府道峰山網野線道路工事現場(国鉄宮津線踏切南方約一三〇メートルの地点)において、二〇メートル余後方の作業現場に砂利をおろそうとして自動車を後退進行させたが、同所付近では浮網きしの(当時三三年)ほか数名の人夫が作業中であつたので、自動車運転者としてはあらかじめ合図をする等して作業員を避譲させる措置をとるとともに進路方向を十分注視して安全を確めて進行し、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、単に運転者席の窓から顔を出して進路右(西)側部分のみに注意を払つただけで作業員を避譲させる措置をとることもなくまた左(東)側部分の安全を確認することなく、時速約一〇キロメートルで後退進行した過失により、同所で作業中の右浮網に気づかず、自車の左後部を同人に衝突させ、同人に頭部外傷、左大腿骨々折の傷害を与え、同年九月九日午前六時三〇分京都府中郡峰山町字杉谷一五八番地丹後中央病院において死亡するに致らしめたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条に該当するので所定刑中禁錮刑を選択し、所定刑期範囲内において被告人を禁錮八月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当とするから刑法二五条一項により裁判確定の日より二年間右刑の執行を猶予すべく、原審および当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により被告人に負担させるものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 山田近之助 藤原啓一郎 岡本建)

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